一番怖いのは、自分のよく知るご近所から僅かに離れる地域です。そのあたりは、知っているような気がする割に実際に行っていないので、見落としがボロボロと出てきます。
というわけで、今日の愕然はこれだ!
京王商業校 §
用もないのに昭和14年の地図を見ていたのです。まあ一応、送電線の経路を見るために開いたのですが、例によって他の箇所も見ていました。
すると、神田川の南、現在の環七のやや西あたりに「京王商業校」という文字を発見。「京王」とは「東京」と「八王子」の造語であって、一般名詞でも地名でもないはずです。京王電鉄とその関連会社以外で使うことはあまり考えられない単語です。
しかし、それを冠した学校があると知って驚きました。
京王の社史にも(見落としでなければ)出ていないはずです。
それは専修大学附属高等学校だった §
WikiPediaの専修大学附属高等学校より引用
- 1925年04月 早稲田商業学校が開校
- 1929年05月 早稲田商業学校の姉妹校として財団法人京王商業学校を設置
- 1932年06月 早稲田商業学校、財団法人努力学園帝国商業学校に改組改名
- 1944年04月 工業学校に転換し、京王工業学校・帝国工業学校と改称
- 1946年04月 京王・帝国両校とも商業学校に再転換、京王商業学校・帝国商業学校と改称
- 1948年04月 京王商業学校・帝国商業学校を合併し、財団法人京王学園、京王中学校・高等学校を設置
- 1951年02月 私立学校法の施行により、財団法人を学校法人に改組
- 1955年02月 専修大学の付属校となり、専修大学附属京王中学校・高等学校に改称
- 1965年04月 学校法人京王学園が奥州大学(現・富士大学)を岩手県に開学させる
- 1969年04月 専修大学附属京王中学校を廃校
- 1969年10月 法人名と校名を専修大学附属高等学校に改称
- 1969年11月 奥州大学を分離
- 1994年04月 男女共学化
- 2004年04月 制服変更(男子)
- 2004年10月 新校舎完成
- 2005年04月 制服変更(女子)
というわけで、すぐにこの学校の正体は判明。
しかし、これだけでは分からないことだらけです。何故に、早稲田商業学校の姉妹校が京王?
努力学園帝国商業学校という、あまりに壮絶な名前の学校はいったい?
いきなり工業学校になって商業学校に戻るとはどういうこと? (戦争や戦時の国策に関係あり?)
しかも、1969年10月まで学校の名前に「京王」の2文字は残っていたということ?
うーん、謎が多いので大変です。
流れから見ると…… §
京王は単なる地名扱いであり、京王線の沿線であるという以上の意味はないようにも思えますが、良く分かりません。特に、鉄道の京王が大東急に吸収されていた時代も「京王」の看板を出していたとすれば、やはり地名としての京王かもしれないという気がします。
この話題がどこにつながるのか……というと §
もし「京王」が何らかの資本等のつながりを意味するのなら、京王のイメージが変わるかもしれません。
もし「京王」が地名として機能していたとすれば、京王という言葉の持つ意味を再度見直さねばなりません。